2012年10月31日水曜日

「ママは仕事のことばかり」

先日、友人宅に遊びに行った際、どういう流れだったか忘れてしまいましたが、子どもたちが口々に、「自分の母親が夢中になっていること」について、コメントし始めました。

「ママってば、おやつのことばかり考えているのよ」
「うちのママは、ワインばっかりよ」

という具合です。

そうしたらば、なんと我が子は、このように答えたではありませんか!

「ママってば、仕事ばっかりしてるのよ。だから仕事のことばかり考えてるのよ」

・・・・・・(大汗)。

いや、この言葉で想像されるほどには、仕事のことばかり考えているわけでは、ないのですけど(汗)。週末は基本的に仕事から離れるようにしてますし、そりゃあ、最近はちょっと忙しい時期に入っているため、平日は多少は仕事寄りかもしれませんが。

思わずアタマを抱えてしまいました。

しかし、子供にはそのような印象を与えている、というのが事実なのですね。
まだまだ「両立道」の修行が足りませぬ…。

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2012年10月30日火曜日

育児で磨ける、マネジメント3つの素養

■育児をしていると、マネジメントに必要な素養を磨くことができるなぁ、と常々思っています。

具体的には、以下の3つが挙げられます。

1. 生産性/効率の向上
2. 人を伸ばす、育てる
3. 感情のキャパシティ拡大

1つ目の「生産性/効率の向上」については、本ブログでも何度も述べてきているので、今日は、

2. 人を伸ばす、育てる
3. 感情のキャパシティ拡大

について、書こうと思います。

1. 生産性/効率の向上については、ブログの過去記事を以下にご紹介しますので、よろしければご参照ください。

(「効率」でヒットした記事の一部です。あまりの多さに自分でも驚きました・笑)

「24時間を最大限に活用するための3ステップ」
http://think-and.blogspot.jp/2011/10/243.html

「『捨てる』流儀」
http://think-and.blogspot.jp/2012/06/blog-post_28.html

「時間の3D化」
http://think-and.blogspot.jp/2012/04/3d.html#links

「即断、即決、即アクション」
http://think-and.blogspot.jp/2011/10/blog-post_18.html

「そのタスクの目的は何か?」
http://think-and.blogspot.jp/2011/10/blog-post_25.html

「仕事と育児、職場の理解を得るための3つのコツ」
http://think-and.blogspot.jp/2012/06/3_15.html

「効率化しても、間に合わないとき」
http://think-and.blogspot.jp/2012/06/blog-post_27.html

■さて、育児で磨けるマネジメントの素養「人を伸ばす、育てる」について。

これは想像しやすいかもしれませんが、子供が新しいことにチャレンジし、ちょっと行き詰まった時に、

・どこでつまづいているか、確認し
・具体策を授けながら、親身にフォローし
・叱咤激励しながら、成長を促す

というアプローチが、

・苦手なところを見つけ、
・指導し、フォローしながら
・叱咤激励して成長を促す

というアプローチと重なると感じたから。

例えば我が家では、上の子が新しく習い事をはじめて四ヶ月に入ったのですが、最初の三ヶ月は少々苦労しました。自分より年上の子や、二年以上も長くレッスンを受けている子たちの中に、初心者がいきなり放り込まれた、という状況だったので、好きで始めたこととはいえ、やはり「自分だけできない」という状況に嫌気がさして、投げ出そうとしたこともありました。

そこで、
・難しい箇所を親も一緒に覚えて、遊びの延長で練習したり
・「新しく始めたんだから、最初はできなくて当たり前。練習すれば、少しずつできるようになるから」
とフォローしたり、叱咤激励しながら、なんとか軌道に載せることができたのです。


■もうひとつの素養、「感情のキャパシティ拡大」について。

これは、

・出産という命がけの修羅場
・意思表示を泣くことでしかできない新生児との対峙

という経験により、もたらされるものです。

例えば、話が通じない人がいたり、理不尽な出来事があったとします。

そんな時、普通だったら、むかっ腹が立って、怒り狂ったり、文句を言ったりすることでしょう。出産を経験するまでは、私もそうでした。

ところが、いまでは「ああ、とりあえず、何を言いたいか理解できるだけマシかぁ」と思えます。

だって、赤ちゃんは泣くばかりで、何を言いたいのかわかりませんし、そもそも会話が成立しませんから、それに比べればマシと考えられるようになるわけです。

また、仕事上のトラブルが起きた時に、大騒ぎしてリカバリーする、ということが少なくなったように思います。

というのも、「これで死ぬわけではない」と思えるから。

もちろん、ビジネスの現場でもタフなシチュエーションは多々ありますが、それでも、出産という命がけの修羅場には遠く及びません。それに、どんなに大きな失敗をしても、せいぜいクビになるくらいで、命までは取られないでしょうから…。

■出産を経験すると「業務上の実績」という点では、ブランクが生じることは事実です。でも、それを補って余りある経験を、育児を通して得ることもできるのです。

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2012年10月29日月曜日

No worry とNo Problem

仕事柄、英語圏の人との電話会議が多いのですが、最近(ようやく?)気づいたことがあります。

それは、日本人なら「大丈夫」と済ませるところを、彼ら(英語圏の人)は、「No Worry」と「No Problem/It's OK」を使い分けている、ということです。

つまり、

「No Worry」は、そのこと自体は良くないけど、特に心配しなくても大丈夫だよ、という場合、
「No Problem/It's OK」は、そのこと自体、特に問題ないよ、

という場合に使っているようでした。


例えば、会議に遅れてきた人がいた場合、相手が「Sorry for late」と言っている時に、

「No Worry」と言ったら、「遅れてきた事自体は良くないけど、でも心配しなくていいよ、気にしなくていいよ」というニュアンス。

「No Ploblem」と言ったら、「別に遅れてきてもいいよ」(!)というニュアンスになるようなのです。
(もし違っていたら、訂正してください)

言葉の選び方ひとつで、微妙なニュアンスに違いが生まれてしまいますが、このあたり、ノンネイティブには、なかなか習得しづらいところ。

学んでも、学んでも、どこまで行っても、英語は奥深いものです・・・。

2012年10月28日日曜日

「誰かが痛みを感じるようなことには、決して手を貸してはいけない」

以前、吉本ばななさんの小説「海のふた」に、印象的な言葉があったことを、ふと思い出しました。
今このタイミングで思い出したのも、何かの縁(?)かと思い、備忘メモを兼ねてここに記します。

(引用ここから)
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「人はみんな痛い思いや怖い思いをしたくない、幸せを感じたい、そういうものだから。」

母はよく私にそう言った。

「だから誰かがそういうふうになりそうなことには、決して手を貸してはいけない」
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(引用ここまで)

最近、「まっとうであること」とか、「公明正大であること」ということを、とても強く意識するモードに入っています。

「誰かが痛い思いや、怖い思いをしそうなことには、決して手を貸してはいけない」。当たり前のようなことに聞こえますが、会社員をしていると、「仕事だから」という名のもとに、これに抵触することを、大なり小なり無意識のうちに行ってしまう危険性があります。

誰かの痛みの上に成り立つ仕事など、不毛です。

2012年10月27日土曜日

今だけ、今だけ

子供たちが小さいうちは、本当に手がかかるものです。

しかし、特にかわいいのは、この大変な時期なのです。

柔らかい体つきも、フワフワのほっぺや腕、おしりや足、舌足らずな話し方も、今だけ。

この瞬間を見逃すと、もう二度と戻ってこないのです。

「子供は生まれてから三年で、一生分の親孝行をする」と言います。

可愛らしい親孝行、しかと受け取ろうと思います。


2012年10月26日金曜日

なぜか協力者が集まる人の秘密

「この人に頼まれたら、断れない」という人がいます。

むしろ「こんなに頑張ってるんだから、協力してあげたい!」と思ってしまう場合もあります(自分だって十分手伝ってもらい状況であるにもかかわらず、です)。

なぜだろう?と考えた結果、ゆきついた結論は、こちらでした。

「純粋な人柄、一生懸命な姿勢、信念を持って健気に頑張っている様子に心が動かされる」のだ、と。

どんなに立派なことを言っていても、利己主義な人、あるいは利己的な考えが透けて見える人には、自発的な協力者は集まりません。

どんなにお金や地位をちらつかされても、ココロがそれに反すれば、人は動かないのです。

人を動かすのは、やはり「心」や「思い」、そして「人柄」なのです。

私もたくさんの方に応援していただけるよう、人柄を磨かねば。

2012年10月25日木曜日

「賢い人」

先日、Twitterでまたもや印象的な言葉に出会いました。

自閉症のお子さんをお持ちの方が、息子さんと宿題をしていたら、息子さんが「僕はがんばって賢くなる。」と盛んに言ったそうです。そこで、「賢い人ってどういう人?」と聞いたところ、息子さんが答えた要件がこちら。

・笑顔であること
・幸せであること
・正直であること
・誇りを持つこと

どれもとても大切なこと。当たり前に思うこと。ゆえに、難しいこと。
私もこんな「賢い人」になりたいです。

それにしてもTwitter、考えさせられる言葉、ココロに刺さる言葉が溢れています。
下手なビジネス書を読むより、よっぽどハっとさせられることが多いです。


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2012年10月24日水曜日

考え中。

最近、公私ともに、考えるべきことが多く、アタマを酷使しております。

だいたい自分が「考えてしまう」ときは

・「限られた資源で、最大限のことをするために、どうしたらいいか」が課題で、

・「これで本当にいいのだろうか」と答えに確信を持てずにいるとき。

優先順位をもっともっと明確にしたら、迷いがなくなるのでしょうか…。


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2012年10月23日火曜日

全身全霊を傾けて、自然の恵みを享受する

週末から、我が家では今年の新米をいただいております。

新米って、ホントにおいしいですね。
つやつやの輝き、ふかふかとした匂い、ほんのり甘くて、みずみずしくて、冷めても美味。

あまりの美味しさに、家族全員、二膳ずついただきました。
ああ、日本人で本当に良かった(笑)。

かつて、日本びいきのフランス人の友人は、「数種類のジャムを塗りながら、焼きたてのバゲットを食べていると、『ああ、フランス人でよかったなぁ~』と幸せに感じるのよね。日本の温泉旅館はとても素敵だし、雰囲気が良くて大好きだけど、朝食だけは、バゲットじゃないとダメなのよねー」と言っていましたが、まさにこの心境です。

今年も新米の美味しさを堪能できることに感謝。
そして「収穫の秋」を、目で、鼻で、口で、文字通り全身全霊で堪能できることに、幸せを感じずにはいられません。


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2012年10月22日月曜日

「遠くを、見よう」

脳科学者・茂木健一郎さんが、Twitter上で毎日行なっている「連続ツイート」で、とても印象的なものがありましたので、備忘メモを兼ねて共有します。

第747回「遠くを、見よう」。

(引用ここから)
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昨日、Society for Neuroscienceが終わった後で、みんなでご飯を食べていたら、田森佳秀の学生の清水くんが来た。清水君に「君さ、科学の歴史上の業績で、一番感動したものは何で、その理由は何ですか?」と聞いたら、田森が、「おお、それはいい質問だ」と言った。

ある人が伸びるかどうかは、その人が、どれくらい遠くを見ているかで決まると考えている。そして、その遠くは、自分の今のレベルから離れた、背伸び、野次馬的なものでいい。学校で習っていないからとか、そういうことは理由にならない。遠くを見ていないと、手元もしっかりしない。

私自身は、小五の時にアインシュタインのやったことを知って、本当に感動した。相対性理論と、そこに至る道筋が凄い。田森も言っていたけど、量子統計や、連続体仮説、不完全性定理など、そういうものを知ることで、感動するし、一つの「基準」になる。それに比べてどうなのかと。

科学だけの話ではない。たとえば、政治を志している人ならば、どの政治家の、どのような功績が、すばらしいと思うのか、そしてそれはなぜか、ということについて語ることができなければならない。小説家ならば、どの小説家のどの作品が素晴らしいのか。音楽ならば、どの仕事か。

バレエならば、どのダンサーの動きが素晴らしいのか、あるいは、どの作品の、どの演出が素晴らしいのか。時には、「なぜ」が言えなくても、北極星のように、自分のはるかな目標になる、遠くに輝くものを、できるだけ早い段階から、知っていた方がいい。そうでないと、伸びない。

遠くを見ていれば、途中の段階のあれこれに一喜一憂したりしない。たとえば、入試なんてものは、それ自体に意味があるわけではなくて、受かればよし、受からなかったら、なんとかするしかないものだが、遠くを見ていれば、入試で必要以上に落ち込んだり、虚栄心を持ったりはしない。

人間関係や、仕事上の苦労もそうで、遠くを見ていれば、多少のトラブルは気にならない。むしろ、もっとがんばろうと思う。遠い目標が見えていないと、人は迷う。へたをすると、自分はダメだと落ち込む。そして、やがて、すべては相対的で揶揄の対象であるという、「皮肉のスタンス」に陥る。

先ほどツイートした、ジョブズの30年近く前のスピーチに関する記事(http://t.co/OXCnDyXU)にも、遠くを見続けることの大切さを改めて思う。コンピュータの未来はこうなる、というはっきりとしたビジョンを持っていたからこそ、ジョブズは迷わず航海できたのだ。

若いやつと、心が若いやつに言いたい。君たちは、どれだけ遠くを見ているか。遠くを見る望遠鏡になってくれるのは、なんらかのすぐれたもの、偉大なものに接した時の「感動」である。そんな感動がエンジンとなって、トラブルつづきのやりきれない日常を乗り越える力が、君に与えられる。
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(引用ここまで)

「遠くを見よう」ということで、私も100日毎に「定点観測」を行なっているのですが、実は最近、そこで記載していた内容に少し違和感を感じるようになって来ました。

もしかしたら、本当に心の底から沸き上がってきた内容ではないのかもしれない。

「こうだったらカッコイイなぁ」と思うことを記載しているだけかもしれない。

そしてそれは、もしかしたら、アタマで描いただけで、ココロで描いたものではないのかもしれない。

ココロで描いたものでないなら、たとえ実現できても、幸せには感じないかもしれない…。

幸い、冬に出産を控えて、大きな行動を取りづらくなり、考えるモードに入りやすくなります。このタイミングでもう一度、自分の将来図を塗り替えてみてもいいかもしれない、と思っています。

自分のココロに素直に。素直なココロで遠くを、見よう。


2012年10月21日日曜日

今こそ、断捨離。

今日は終日、「断捨離」に勤しみました。

家族が増えるということは、荷物も増えるということ。
部屋のスペースにも限りがあるので、その分、荷物を捨ててゆかなくてはなりません。

そして、それができるのは、「今だけ」なのです。
「産休に入ってから」などと思っていては、永遠にできないのです。

というのも、「産休に入る」のは、一般的には妊娠9ヶ月を過ぎてから。場合によっては、臨月を迎えてから、という人もいるかもしれません。

いずれにせよ、もっとお腹が大きくなったり、いわんや子供が生まれたら、そんなことをできる時間はなくなってしまうのです。

例えば、一人目のとき。
「産休に入ったら、片付けをしよう」と思いながらも、臨月に入った体がこんなに重いとは知らず、また真夏という季節もあり、ちっとも体を動かすことができませんでした。

「生まれて身軽になったら、やろう」と思いきや、今度は新生児のお世話で24時間かかりきりの生活が続き、とても片づけなんてできない。

そうこうしているうちに、職場復帰を迎え、まったく片づけは進みませんでした。

二人目のとき。
「今度は安定期に入って、体がまだ軽いうちに片付けをするぞ!」と思いきや、安定期に入ってから流産しかけてしまったため、以降は体調を整えることを最重視し、そのまま出産の日を迎え・・・(以下、省略)。

というわけで、「三度目の正直」を掲げ、まだツワリの気分の悪さが残りはしますが、子供たちは夫に連れ出してもらい、せっせと片付けに勤しむ休日を過ごしたのでした。

今しかできないことは、今やらなくては。今度こそ!

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2012年10月20日土曜日

一家は習慣の学校

一家は習慣の学校なり。父母は習慣の教師なり。そしてこの習慣の学校は教育の学校よりも有効にして、実効を奏する。 (福沢諭吉)

…というわけで、我が家でも子供に身につけさせたいことは、親が率先して行うようにしています。

とは言え、なかなかうまくいかないのが現実。挨拶なども、親は明るく元気に行うようにしているのですが、シャイな上の子は知ってる人でも知らん顔することがあったり(涙)。

長い目で見て、いつか身につけてくれればいいか、と思うようにします。

2012年10月19日金曜日

逆境だからこそ、見えること

最近、ちょっとチャレンジングな状況が続いています。

こんなときは「自分が幸せでない状況とは何か」を知るチャンス。

例えば、私は以下を改めて認識しました。

・早く帰れなくて、子供達と触れ合う時間が少なすぎるときには、幸福感を得づらい。
どれだけ高い給与や社会的地位を目の前に提示されても、子供達との時間が奪われるのは御免蒙る。

・自分は徹底した現場主義者だということ。
現場を知りもしないで、机上の空論を振りかざすのはキライだし、現場に何ひとつプラスの影響を与えないような、上に自分の実績をアピールするためだけの仕事なんて、くだらないと感じる。売り上げに貢献しない仕事なんて、ツマラナイ。

・筋違いのことを言われたり、されたり、見たりするのもキライ。「人としてどうなの?」ということも、看過できかねる。

など。

ネガティブな出来事があったときには、自分がネガティブに感じた要因は何だったのかを冷静に分析すること。

そうすることで「ネガの元」を把握できるようになり、「ネガの元」自体から遠ざかったり、「あ、これは自分の怒りの地雷だ」と冷静にとらえることで、怒りの感情を抑えることが可能になります。

逆境からすら、もとい、逆境だからこそ、学びを得ることができるのです。

転んでもタダでは起きぬ。

そんなタフさを身につけたいものです。


2012年10月18日木曜日

自分の心のハンドルを自分で握る

怒らない技術」シリーズの著者である、嶋津良智さんが発行されているメールマガジンの中で、とても心を打たれたご意見がありましたので、備忘メモを兼ねてこの場で共有します。

(引用ここから)
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私は怒らない技術のセミナーの中で、

「怒り」や「イライラ」は、あたかも対象者が自分に与えているものだと思いがちだが、元をたどれば、相手の行為や言葉に対して、自分自身が「怒る」や「イライラする出来事だ」という意味づけをして、自らが発生させている感情なのだ。

という話をします。

出来事には何の意味もないのです。出来事に意味付けをしているのは自分自身なのです。

例えば、「幸せ」と言うことで考えていただければわかりやすいと思いますが、「幸せの形って人それぞれだよね」と言います。

目の前にある状態を「幸せだ」と言う意味付けをすれば幸せになりますし、「不幸せだ」という意味づけをすれば、どんな状態でも不幸になってしまいます。


実は「怒り」も同じなのです。

目の前にある出来事を「イライラする」「頭にきた!」という意味付けをしてしまえば、どんな出来事でも怒りの対象になってしまいます。

ですから、怒りっぽい人と言うのは、目の前に起きた出来事に「イライラする」「腹が立つ」という意味づけを数多くしてしまっているだけなのです。

どんな出来事も他人も言葉も状況も、実はあなたを怒らせることはできません。

そこには「怒らない」「イライラしない」という選択肢があるにもかかわらず、自らが「怒る」や「イライラする」という意味づけをして、その感情を自ら発生させてしまっているのです。
       
要するに、その出来事を、どう受け取ったかという、その人自身の受け取り方が「怒る」も「怒らない」も決めているのだということを理解してほしいと思います。

よく、素敵な彼氏や彼女がいた時に「心奪われる」という表現を使いますが、実は怒りも同じで、相手に心奪われている状態なのです。

自分の心が相手にコントロールされていること。

要するに怒っている相手に、自分の心を支配されている状態なのです。

私はなぜほとんど怒らないのかといいますと、自分の心のハンドルは自分で握っていたいと考えているからです。自分の心をネガティブなことで人に支配されるのが、たまらなく嫌なのです。

あなたは、自分の心のハンドルを自分で握って、人生のドライブをしたいですか?

人に握られて車をハイジャックされた状態(支配された状態)で人生のドライブをしたいですか?

どちらがいいのか考えていただければお分かりになるように、「怒り」という感情を上手にコントロールしてほしいと思います。

「怒り」という感情のコントロールは、認知行動なので、刺激と反応から成り立っています。要するに、今まで怒りの対象となっていた刺激に対する、反応を変えれば、コントロールできるのです。
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(引用ここまで)

「自分の心のハンドルを自分で握る」。

職場のデスクまわりに貼っておく標語が、またひとつ増えました。

2012年10月17日水曜日

自信がなくて、当たり前

最近よく、

「仕事と育児を両立できる自信がない。だから育児休暇を取っても、ちゃんと職場復帰できるか、わからない」

という悩みを聞きます。

すでに育児休暇→職場復帰の経験を経ている方の本音としては、
・わかる、わかる。私もそうだった。
もしくは、
・それのどこが悩みなのか分からない
の、どちらかではないでしょうか?

前者の反応を返された方は、おそらく「未知の出来事」に遭遇したとき、どのように対処してよいか分からず、でも何とか事前に可能な限りの対策を立てたい、と思うタイプ。
そして、後者の反応を返された方は、「未知の出来事」に遭遇しても「わからないものは、わからない」と割りきって「えいや!」と飛び込んでゆくタイプ、なのではないでしょうか(ちなみに私は後者です・笑)。

「子供を産むと、世界が変わる」とよく言われます。これはまったくその通り。

子供がいないうちには、基本的には多くの物事を自分でコントロールできるでしょう。

・自分でコントロールできない
・話が通じない
・そもそも、日本語を理解してくれない
・そのくせ、やたらと手がかかる

という事柄と向き合うことは、非常に少ないのではないでしょうか。

そうした、子供を産む前の世界しか知らない状況で、
・「仕事と育児を両立させる自信がない」
・「育児休暇を取っても、ちゃんと職場復帰できるか、わからない」
のは、ある意味、当然のことです。だって、未知のことなのですから。

未知のことですから、事前に詳細をイメージさせようとして

・先輩方の話を聞きに行ったり
・雑誌の特集を読んだり
・ウェブなどで体験談をあさったり

ということをしても、正直なところ、それが即、自分が経験するであろう未来を正確に描写しているとは限りません。「仕事と育児」への向き合い方は、環境と考え方によって人それぞれ、個人差が非常に大きいものだからです(もちろん、ある程度の参考にはなるとは思います)。

ですから、出産前に自信が持てなくて当たり前。イメージが沸かなくて途方に暮れて当たり前です。

さらに言えば「仕事と育児の両立」だけが大変なのでは、ありません。育児だけに専念したとしても、それはそれで、とても大変なものです。

確かに仕事を続けていると、

・時間との戦い
・子供を置いて行かねばならない辛さ
・外せない仕事の予定と子供の病気

という事態に遭遇する大変さはあります。

でも育児だけに専念したとしても、

・24時間子供と一緒の生活
・自分ひとりの時間を確保する難しさ

という、別の種類の大変さがあるのです。仮に「両立の自信がない」といって専業主婦の道を選んだとしても、決してラクになるわけではないのです。

ですから、ポイントは
・「仕事を続ける大変さ」と
・「育児に専念する大変さ」の
どちらが自分に向いているか。
あるいは
・「どちらの生活を強く望むか」
なのだと思います。

そして多くの場合、「どちらが自分に向いているか」は経験してみないと分からないものです。

ちなみに私は、第一子の育児休暇中に「この生活は自分には向かない」と気づきました。

以前に勤めていた会社の先輩は、「産休は3ヶ月で復帰する。子供はすぐに保育園に預ける」予定で、周囲から「そんな小さなうちから保育園に預けるのは、かわいそう」と言われると、「子供を産まなきゃいけないせいで、キャリアにブランクが生じる私のほうがかわいそうだよ!」とまで豪語していましたが、実際に子供が生まれてみたら、「仕事は外の人でも代わりが効くけど、この子の母親は私しかいない」と悟りを開き、スパっと仕事を辞めてしまいました。

こんな例もありますから、本当にわからないものなのです。

ですから、もし「子供を持つこと自体」を躊躇しているなら、話は別ですが、そうではなく、単に両立できるかの1点だけが心配…ということなら、あまり事前に色々と考えすぎるのは文字通り「取り越し苦労」なのではないかなぁ。と、個人的には思います。
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2012年10月16日火曜日

すべては感謝の気持ちから。

元参議院議員の田村耕太郎さんが、Twitterで感謝の気持ちの大切さについて、語っておられたのが印象的だったため、備忘メモを兼ねてご紹介します。

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すべては感謝の気持ち。
うまくいかないときやイライラしている時は”感謝”を忘れている時が多い。

感謝の気持ちは最強。感謝を思い出すだけで勇気が湧いて前向きになれる。
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本業では、なんだかとってもメンドウなことに巻き込まれているのですが、まずは今の自分があり、家族が健やかで、いくばくかの収入を得ることができている、という事実に感謝すること。

そう思うだけで、うまくいかないと思ったり、メンドウだなぁと感じていたことが、ちっぽけなことに思え、前向きな明るい気持ちになれるから不思議です。

すべては感謝の気持ちから。
忘れないように、職場のデスクまわりに標語として貼っておこうと思います。

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2012年10月15日月曜日

プレイング・マネージャ的「三方良し」

「三方良し」というと、近江商人の理念として「売り手良し、買い手良し、世間良し」という言葉が有名です。

今でも近江商人の流れを汲む企業の中には、企業理念にこの「三方良し」を盛り込んでいる会社もあるそうです。

この「三方良し」、組織で働くプレイング・マネージャにとっては、こんんな風にも読み取れるのではないかと思いました。

・上司良し(自分を伸ばすために、上司の仕事を巻き取ってゆく)
・部下良し(部下を育て、徐々に仕事を任せてゆく)
・自分良し(自ら回さなくてはならないプロジェクトも、キッチリ回して結果を出してゆく)

どこも人手不足で誰もが忙しいこのご時世、「中間管理職はツライよ」と言いたくなるのは、どの職場も同じかとは思いますが(涙)それでも、「三方良し」を心がけて、理想の状態を築けるようになりたいものですね。


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2012年10月14日日曜日

低気圧とツワリ(2)

平日の疲れがたまってか、早朝に下の子が起きてしまった影響か、今朝は全く起きれず、気づいたら9:30でした(大汗)。

その後も、頭痛と気分の悪さで14:00まで撃沈。

おかしいなぁと思っていたら、雨が降ってきたので、納得でした。

私が撃沈している間、子供の世話と家のことは、もちろん夫がこなしてくれていたわけで…。

感謝の言葉以外、ありません。

明日の天気予報は晴れ。今日より回復することを祈って、もう寝ます。

2012年10月13日土曜日

継続は力なり


毎週土曜日は子供の習い事の付き添いで、時間が過ぎてゆきます。

始めてからちょうど三ヶ月が過ぎ、四ヶ月に入ったのですが、ようやく安定感がでて、馴染んできました。

いやあ、ここまで持ってくるのは、なかなか大変でした。

学年や習熟度別でクラスが別れているわけではないので、自分より年上の子や、二年以上も長くレッスンを受けている子たちの中に、初心者がいきなり放り込まれた、という状況だったので、最初は文字通り見よう見まね。体を動かしながら、少しずつ基礎を身につけてきたのですが。

好きで始めたこととはいえ、やはり「自分だけできない」という状況に嫌気がさして、投げ出そうとしたことも、しばしばでした。

そこで、難しいところは親も覚えて家で練習したり、「新しく始めたんだから、最初はできなくて当たり前。練習すれば少しずつできるようになるから」とフォローしたり、叱咤激励しながら、なんとか最初の壁は乗り越えることができました。

で、ふと思ったのが「これってマネジメントと似てるかもなぁ」たいうこと。部下の苦手なところを指導し、フォローしながら、叱咤激励して成長を促すあたり、まさに、と思いませんか?

今日も子供から大切なことをまなびました。

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2012年10月12日金曜日

それでも、きっとアイツなら

みんなが苦しいときに「それでも、きっとアイツなら何とかしてくれる」って思われるようなリーダーになりたい。

実績に基づく、周囲からの信頼がないと、できないことだから。

今日は短めに、意思表明。

2012年10月10日水曜日

Vision & Hard Work

先日から、京都大学の山中伸弥教授が、「ノーベル医学生理学賞を受賞」という話題でもちきりですね。

その山中教授が、留学先の米国研究所で教わり、そして教授ご自身が講演などでも、折にふれて語っておられる言葉があります。

「Vision & Hard Work」

目的をしっかり持って、一生懸命働く。
Hard Workばかりで、Visionを忘れてはいけないし、理想論ばかりで、手が動かなくてもいけない。

私もしっかり心に刻もうと思います。

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2012年10月8日月曜日

柿栗三年、桃八年

上の子は「ことわざ博士」。いったいどこで覚えてくるのか、まったく謎なのですが、何時の間にか様々な「ことわざ」を覚えており、出し抜けに、何の脈絡もなく披露しては、親をドキッとさせてくれます。

ちなみに、このブログを始める数日前には「千里の道も一歩から」と言ってくれました。その言葉が最後のダメ押しになって、今があるのですが。

今日は、「柿栗三年、桃八年」です。
単に自分の好きな秋の食べ物が入っているから、言ってみただけなのかもしれませんが、ノーガード状態で耳にすると、いろいろ身につまされる点があるものです。

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2012年10月7日日曜日

頑張る理由

少し前の回のプリキュアで、ちょっと印象的なやり取りがありました。

(全テキストを正確に再現できていないかもしれませんが、このような趣旨だった、ということでご理解いただければと思います)

難敵に立ち向かい、苦戦し、負けそうになりながらも、諦めず必死に向かってゆく主人公に、悪役がある言葉を投げかけます。

「なぜ、頑張るのです?」と。
そして続けます。

「頑張っても結果が出ずにガッカリしたり、努力しても上手く行かず、笑われて嫌な思いをしたり。失敗して、仲間の頑張りを無駄にしたり、思い悩んで頑張っても、結局みんなに迷惑をかけて、情けない自分にうんざりするだけ。最初から頑張らなければ、そんな思いをしなくても、失敗する事もないのに」。

うーむ、さすが悪役、イタいところをついてきます。確かに頑張ったって、必ずしもいつも成功するわけではないし、失敗して悔しい思いをすることだって、ありますよね。
それに、「なぜ、頑張らなくてはいけないのか?」は、きっと将来、子供にも素朴な疑問として問いかけられそうなことでもあります。

さて、そんな問いへの主人公からの答えが、こちらです。

「誰だって上手く行かない時はある。でも頑張っているみんなの目はキラキラしている。泣いたり悩んだり、一生懸命頑張ったおかげで、今まで知らなかった自分、そして自分にとって何が一番大切なのか分かった。辛いこともあるかもしれないけど、少しずつでも前に進んでゆきたい。その未来はきっとキラキラ輝いているから」。

さすが主人公。「上手く行かない時があるのは、当たり前」「でも、頑張ったことは無駄にならない」「泣いたり悩んだりするから、大切なものが何か分かる」。

全くもってその通りですね。さらにひとつ付け加えるなら、「たまたま1回うまく行かないことがあっても、きっと次は大丈夫だよ」ということかな、と。

子供がいつか何かにつまづいて、ボヤくことがあったら、これを伝えてあげようと思います。

今週もプリキュアのお陰で、朝の静かな30分間と多くの学びを得ることができました。
プリキュア、今日もありがとう!

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2012年10月6日土曜日

自分の常識を疑う

先日、Twitterで印象的な言葉に出会いました。

「子供たちのことで、何かを直してやろうとするときにはいつでも、それはむしろ我々のほうで改めるべきことではないかと、まず注意深く考えてみるべきである。 (Carl Gustav Jung)」
確かに、私自身、「自分が大切だと思っていること」、「自分がXXXすべきだと思っていること」を、「XXXしなさい」と命令しがちです。

一方で、自分が親の立場になってみて、自分の親が言っていたことが必ずしも正しかったとは思えないことにも気づきます。

「自分が改めるべきことなのではないか」と疑ってみる。この姿勢を忘れないようにしたいものです。

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2012年10月5日金曜日

エモーショナルな上司 vs 冷静沈着な上司

エモーショナルに怒ったり、感情をあらわにする上司と、常に冷静沈着な上司、どちらがいいのかなぁと、ふと思いました。

一般的には、「上司が動揺すると、部下も動揺する。だからポーカーフェイスでなくてはならない」「ミスを感情的に怒ると、悪い話が上がってこなくなる」など、冷静沈着であることを求められることが多いようです。

ヒステリックになるのも、良くないですね。

でも、常に冷静沈着だと、とっつきにくいと思われたり、フランクなコミュニケーションを取りづらく思われたりするという、デメリットもあるかもしれません。

ですから、ときには意図的に感情を見せるのも、悪くないかもしれません。

例えば、自分の部下やチームが不利益を被りそうなとき、敢然と闘争心をあらわに立ち向かう。
例えば、達成すべき目標やビジョンをアツく語る。

こんな頼もしさや、アツさで人を引き付けるという考え方も、アリなのではないかなとも思います。

エモーショナルなだけでは未熟ですし、冷静沈着すぎても魅力に欠けます。
やはり、何事もバランスですね。

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2012年10月4日木曜日

伝聞は、信じない

「○○が××って言ってたよ」的な、第三者からの伝聞は、あまり信じないようにしています。

というのも、いつ、どんな状況で、どんな文脈で言われた発言か分からないと、意図を読み取ることは困難だからです。

それに、第三者の思惑が含まれている可能性もあります。うかうかと信じてしまったら、第三者に足元をすくわれかねません。

詳細が明確で、発言者が信頼できる人である場合は信じたくなりますが、それでも、発言の本当の意図は、発言者本人に聞かないとわからないことが多いものです。

ですから、「伝聞は、話半分に聞いておく」くらいがいいかもしれませんね。

2012年10月3日水曜日

オトナの処世術?

最近、「組織で働くって、難しいなぁ」と思うことが、ちょこちょこ起きています。

例えば、「『この日までにやりましょう』とコミットしたことは、うるさく突かなくとも、やってくれるでしょう」と思って任せていたのに、まったく進んでいなかった。さらにはこちらからリマインドするまでは、アップデートも寄こさなかった、とか。

あるいは、「この人は人の手柄を取ったりしないだろう」と信頼していた人が、あたかも自分のプロジェクトのように上に報告していた、とか。

一方で、上が社内政治的なモロモロから守ってくれていたり、あるいは上手く立ち回るためのコツを授けてくれている、ということにも、ようやく最近、気づくようになりました。オトナの処世術、というヤツですね。

まぁ、きっと、これまでが温室育ちだったのかなぁとは思います。無防備に人を信じすぎていたのかもしれません。

組織で動くなら、隙を突かれないようにしなくてはいけない、ということは分かってきたつもりですが・・・。

でも、それって、本来企業が出さねばならない結果に、どんな好影響があるんでしょうね?と思ってしまう自分がいることも、事実。

まだまだガキンチョです。

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2012年10月2日火曜日

怒涛の第4四半期、スタート!

いよいよ10月、今年も残すところあと3/4となりました。

そして私の勤務先では年末&年度末を迎えます。

ただでなくとも大小様々なプロジェクトが重なる時期なのに、今年の予算の着地コントロールやら、来年の予算やは計画やらで、てんてこ舞いです…。

しかしこんな時こそ、力が付くとき。

依頼に120%で返せるよう、がんばります!

2012年10月1日月曜日

働くプレママが最初にすべきこと

組織で働く女性が、妊娠したとき、最初にすべことは2つあると考えます。

・ひとつは、直属の上司への報告
・ふたつめは、今後の見通しの意志表明

です。

■ まず「直属の上司への報告」について。

これは特に、つわりをはじめ、体調不良が起きやすい妊娠初期に、不要な心配をかけない、という点から有効です。

例えば、妊娠初期には、
・つわりで起き上がれず、出社できない
・気分が悪いため早退する、あるいはお休みをする
・通勤中に具合が悪くなり、遅刻する
ということが起きる可能性があります。

もしこうした事態に直面した場合、そして上司に知らせていなかった場合、どんな印象を持たれてしまうでしょうか?

無用な心配をかけるだけならまだしも、悪くすると「やる気がない、責任感がない」と、ネガティブに思われかねません。

またあらかじめ知らせておけば、時差通勤あるいは時短勤務の相談もできるようになるでしょう。

もしかしたら、「安定期(妊娠五ヶ月)になるまではあまり人には言いたくない」と思われる方も、いるかもしれませんし、また、あまり早期に、例えば、心音が確認され、妊娠が確定できる前(妊娠5週目など)に報告をすると、万一、初期流産が起きた場合にツライ思いをする可能性もあります。

(初期流産は、全妊娠数のおよそ20%に起きるといわれており、決して珍しいことでは、ないそうです)

ですが、先にあげたとおり、体調不良に関する理解を得やすくなるという点からは、心音が確認されたら報告した方が良いのでは、と思います。

その際「安定期に入るまでは、できるだけ公表を控えたい」など意向を申し添えれば、不必要に噂が広がることも、防げるでしょう。

■ふたつめは、「今後の見通しについての意志表示」です。

これは、明確に確定させたものである必要はないと思います。

ただ、
・退職意思の有無
・産前休暇に入る時期の目安
・復帰時期の目安(認められている期間フルに休むのか、もっと短い期間で復帰するのか)
・時短などの処置の要否
について、どのように考えているのか、その時点での意向で構わないので、直属の上司に伝えることをおすすめします。

というのも、上司はあなたが不在の間の人的配置、あるいは作業分担について検討しなくてはならないから。そのための予算を確保しなくてはならない場合もあるでしょう。

ですから、誠実さの証(?)としても、できるだけ早く意思表明することが大切なのです。

もし決定でないのなら
・「今の時点での考えで、まだ確定はしていないのですが…」
・「実際の正確な予定は、今後引き続きご相談させていただきたいのですが、イメージとしては…」
と申し添えながら伝えればよいのではないでしょうか。

「両立」の世界への第一歩は、「職場への配慮」から始まるのです。

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